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2011年1月17日 (月)

今日は震災から16年目の日ですね

今日は,あの阪神淡路大震災から16年目の日です。

私は,1月17日になると,なぜか勝手に涙が出てしまうときがあります。私は当時も西宮に居ました。幸い,私自身や実家は大きな被害はありませんでしたが,祖父母宅は倒壊しました。

震災当日の夕方のことでした,すでに,今の法人の通所授産施設の主任だった私は,通勤に使っていたオフロードバイクで職場に到着し,職場の建物に避難してきた人の対応などをしていました。

夕方になってすっかり暗くなっていました,当時のグループホームの責任者から「高架水槽に残っていた水でご飯を炊いたので,取りに来い」と連絡があったので,私がバイクで取りに行きました。

この時,道は大渋滞でした。すでに道交法無視の状態で,バイクが歩道を走っている状態です。

コンビニの弁当の入れ物みたいな容器いくつか分に入ったご飯をビニール袋に入れ,ハンドルにぶら下げて停滞状態の自動車の列の横をゆっくりすり抜けていると,中年の女性が4輪駆動車の助手席の窓を開けて泣きながら私に声を掛けてきました。

「娘が家の下敷きになって亡くなったので,この先の葬儀屋まで連れて行ってほしい。」と言うのです。運転していたのは,姉らしき20歳代位の女性でした。今にして思えば,死亡診断書も書いてもらっていない状態だろうと思えるですが,あの時はそんなことを考えるような状況ではありませんでした。午前に芦屋,東灘,灘と様子を見に行って,今死んでいく人もいるんだと思っていましたから。

43号線の倒壊した阪神高速つぶされた車を白バイの横に立って呆然と見ていた警察官が,とても悲しく見えたのをよく覚えています。

「とにかく,このご飯を届けないといけないので,ご飯を届けたら戻ってきます。」と伝えて,5分ほどしてもどったら全くその車は動いていませんでした。

怖がる女性をバイクの後ろに乗せ(もちろんノーヘル),歩道をひたすら走って葬儀社の前につきました。短い間に聞いたことは,「13歳で亡くなったこと」「○○地域の古い家だったこと」位です。「お名前を」と聞かれましたが,当然答えることなく別れました。

そして,帰ってくるとまだその車は10メートルほどしか動いていませんでした。お姉さんらしき運転している人に,「無事お母さんを葬儀屋の前まで送った」ことを伝えると,泣いておられました。荷台に毛布をかけたこんもりとした何かがあって,ひょっとしてご遺体かとも思いましたが。ハンドルに伏せて泣いている女性にそれ以上話しかけることもできず,そこで別れました。

未だに震災の日になると,そのことを思い出して涙が出ます。無事葬儀は出せたかな?あのご家族は悲しみから立ち直ったかなぁと...

私の祖母は,仮設住宅で心疾患で急死したので一応震災死になっていますが,一瞬にしてわが子の命が奪われた,あのお母さんの気持ちはどんな気持ちだったのかと思います。

他にも震災の時はつらいことや怖いことがあったのですが,一番つらかったのはこのことです。よく来てくれていたボランティアの女性が亡くなったり,利用者の保護者が亡くなったりということもあって,震災の年に合同追悼会に参列しました。もちろん,この名前も知らない亡くなった彼女の冥福も祈りました。今日も黙とうの機会があったのですが,彼女の冥福も祈りました。

合掌

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