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2012年3月 1日 (木)

「死」という言葉が

最近「死」という言葉が重くのしかかります。

知的障がいのある子どもと,そのお母さんが死んでいたのに2か月も見つからなかったニュースや光市母子殺人事件の最高裁の死刑判決支持。

私自らに今直面している「死」は,現在,殺人罪で受刑中の支援している2名。

そして,加害者家族支援を行っている2ケース。ご想像がつくと思いますが,加害者のおこした案件が生命犯だから,家族が支援を要するような状況になりえたともいえるのです。

人の命はどれほど尊いものかと思います。たとえそれが,複数の人の命を奪うような重大な犯罪を行い,死をもって償うべきと司法判断されたひとであっても,人の命という点では被害者と同じです。

応報刑としての死刑,死刑には教育刑的要素はほとんどなく,応報刑の極みといえるのかもしれません。教育刑に刑罰がシフトするには,応報刑の極みたる死刑の問題の解決が不可欠なのでしょう。再審無罪が案件が続いていることから考えると,誤判によって人の命が奪われる可能性を避けるといった意味でも考え直す時期に来ているのかもしれません。しかし,被害者の感情を考えるとどうなのか。「死」とは思い言葉です。

私は真言宗の家に生まれたのですが,信心深いとはとても言い難い人です。しかし,以前にも書いたように,人の命を奪った人の対応をするようになってから,腕輪数珠をして,カバンに入れた般若心経を持ち歩いています。

イエス・キリストは,「すべての人間は罪人である」といいますし。親鸞上人は「善人なおもて往生をとぐ,いわんや悪人をや」と言っています。

信仰心の薄い私ですが,こういう言葉が最近重く感じます。

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